分かったつもりって多いんだなあ

実は最近、元気にしているんだけれど、どうも高熱が続いていて、少しでも休みがあると動けなくなる事が続いていました。病院に行くのも動けなくて、昨日家族に連れて行ってもらいやっと病院へ。その後、分かったつもりっていっぱいだなと気付くに至ったのです。

熱は夏風邪だろうと思っていたのですが、昨日検査をする前に「甲状腺ホルモンの異常かもしれませんのですぐに検査します。」と言われました。今まで、病気の疑いの宣告はあくまで疑いだから「違うかもしれないし、大丈夫だよ」なんて家族にも言っていたように思います。けれど、いざ言われてみると「どんな病気なんだろう?」「私の中で何が起こっているんだろう?」「甲状腺異常?」ちょっとだけ知っている話しが大病に感じさせてしまい、落ち着いていられませんでした。なのに私は今まで、「大丈夫だよ」と気安く声をかけていたんだなと思うと、この不安は分かったつもりでしかなかったんだと感じることができました。

ただ、運が良いことに自分の感情のコントロールを学んできたので、1日休んだらすっかり大丈夫になり、今日は冷静に検査結果を聴きにいけます。大丈夫だろう?そうであったとしても直るだろうと思えるからでしょうね。

しかし、つくづく「分かったつもり」っていっぱいあるし、人それぞれ感じ方が違うから、自分の体験が相手に当てはまるわけでもないし。そう思ったら更に「相手に興味を示す」というよりも「相手を知ろう」と思う気持ちって大切だなと感じることができました。

今週から執筆も急ピッチでやるぞ!と担当者に宣言したのに、この件でまた文がネガティブになり、自分で出せるものにならないでいる。ちょっとした気持ちが文さえ変えてしまう。
書道をしている時も、自分の字をみると自分の精神状態は頭で理解しているよりもはっきり出る。気が小さくなると字も小さくなる。不安があると、まっすぐな線に力がなくなる。どんな事でも、一番正直なのは身体なのかもしれません。人だけでなく、自分ですら、自分の事をわかったつもりでいるけれど、分かってないことが多いのかもしれません。

昨日、ネガティブな事をはじめ、いろんな事を考えたから、今朝から復活した事があります。それは、朝、墨は摺らないにしても、字を書くことです。最近パソコンばかりで字を書く機会が減っていたので、また字を書いて自分を観てみることにしました。ほんの少しの事でも自分の身体と対話をしてみようと思いました。

宮里藍さんの太極拳のフォーム確認(1回のすぶりをスローモーションのように時間をかけてすることで、どの部分で力がはいるのか、どの部分が弱いのかを身体で感じることをいつも1度はされていると最近の情報を入手)と同じ感じです。今の自分を感じてあげようかと。
今朝は、字を書くときの身体が歪んでいることに気付きました。まっすぐ座っているつもりでも斜めになっている事で、まっすぐに引いた線が、左によってしまうでした。ちょっとこれは続けてみようと思っています。

コーチングでもノンバーバル(言葉にしてない五感で感じる部分で聞こえてくる声)を観るといいますが、相手さえ知らない相手はそのノンバーバルに隠れているのでしょうから、その声を聴いてあげることが非常に大切なんですね。
今回の病気の疑いの宣告は非常に私には大きな体験でした。いい体験をさせてもらったので、これから活かしていけることがまた一つ増えて嬉しいです。1日経つとこんなに気の持ち方も変わるものなんですね。

あなたは自分のこと、分かったつもりになっていることありませんか。
相手のことわかったつもりでいることってどんなことでしょうか。

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