ちっちゃいなあ、私

心が小さいなあと自分を見てしまった時、心の大きな自分でありたいんだなって知る。心小さいのも私。でもこれは解釈であるだけで、事実は一つ。その事に集中するだけでした。そんな自分の心の中をちょっと見せちゃいます。

お仕事でお客様と共に何かを作り上げる喜び。喜んでいただけるものを提供しようと思える自分が好き。「どれだけでも時間は使っちゃうよ」なんて思っていたけれど、そう思えるのはきっと理性が働いている時なんだなと、自己中心的な自分を目の当たりにしてしまいました。

詳しくは申し上げられないのですが、単純に言えば私のお仕事がまだまだプロ意識に欠けるのか、取り次ぎの方(Aさんとしましょう)が何度も何度も問い合わせを下さったり、提出してくださいと提出物をお願いされたりしていました。本当に熱心にかかわってくださって、私の未熟さゆえにご迷惑をかけているんだなと思っています。しかし、さすがに何度も何度も繰り返し、こちらが他のことをしている時でも配慮なく話し続けられることに「この案件にいつまで時間を使えばいいの?」と自分の都合が出始めてしまいました。Aさんが夜中までチェックをしてくれているのに、約束の時間になっても連絡が来ない。寝てないから寝たいけれど、待っていてくださいと言われて待っている。その間に他のことをしたいけれど、気になるから他のこともできない。私はお客様からお仕事を頂いているのだから、お客様やAさんが「一緒に作り上げよう」としてくれているのに、私はなんと身勝手な事を言っているのだろうと、自分が情けなくなりました。

この案件に関わることで、講師の仕事は「相手にどれだけ伝えたいことを伝えられるか」だったのに、「相手の伝えたい事を代弁できるか」になっていることに違和感さえ覚えてしまうようになっていました。私の仕事って何なんだろう?そう考えてしまったら、結局他の準備が全くできなくなってしまいました。

まだまだ人間として小さいなあ。
人が喜ぶために仕事をしているのではなく、結局は自分のために仕事をしていたんだな。自分が人と喜びを共有したくて仕事をしているから、上手く共有できないことで未熟な自分を痛感してしまっているんだな。がっかり。

そんな風に自分を責めてみたけれど、すっきりしない。でも、今やっとすっきり出来たんです。
「ちっさいなあ、私」
って大きな声で鏡みながら口にしてみました。
そしたら、少し目頭が熱くなったものの、その後大笑いしたんです。
自分でもなんで笑おうと思ったのか分かりません。でも「笑っちゃえ」って思ったんです。

そしたら、今は今なんだ。これも私なんだって受け入れることができた気分でした。
「思っちゃったことは思っちゃったこと」。心を広く持ちたいなら、根っこの考え方が変わらない限り繰り返してしまうわけだし。これが今の私なんだな。自分のありたい姿を大切にしたいなら、ゆとりを持って行動するしかないんだなって、まずはゆとりをもった行動をしようと発想が浮かんできました。

自分で「ちっちゃい」って決めただけ。でもこれが私なんだなあ。
1.大きな声で口にする
2.大きな声で笑っちゃう
3.そんな自分を鏡で見ちゃう
4.「いいんだよ」ってちょっと鏡の中の私に言ってあげる
これだけで、ちっちゃな私は変わらないはずなのに、ちっちゃいって枠から飛び出ることができました。
ウジウジ君、さようなら(^^)/~~

2件のコメント

  • こんちわ、(^^)
    似たような話は僕にもあります、記事を読んでて顔と声が真っ先に思い浮かぶ方がいらっしゃいます。(^_^;)
    思い立ったが吉日とばかりに電話を掛けてくる人ですので、一つの案件で5~6回は電話を掛けてくるんです。
    以前は「用件を纏めて電話して来い!」などおもったものですが、「まぁ、出来るだけのことをすれば良し」と最近では思えるようになりましたし、「他にはよかった?」と聴いてみたりもします。

    話は飛びますが、記事の最後の自分に「いいんだよ」と言ってあげるの行を読んで、
    「自由」というのは「自らを由し」とすることだと何かの本で読みました。
    まさに、このことですね。(^^)

  • ヤスさん
    こんにちは!

    「自由」というのは「自らを由し」とすること
    そうなんだあと感動です。

    ありがとうございます。

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