初心に返らなくても、忘れない。
子供が生まれた時、本当に嬉しかったです。けれど、その気持ちって子供の成長と共に薄れていく感動なのかな?と思いました。けれどもふとした時に思い出します。そんな時子供を抱きしめる私がいます。
友達と話しをしていたら、子供が欲しくてもなかなか出来ないという話をされていました。私達も同じでした。やっとできた子供です。だからその思いは痛いほど伝わってきました。「ああ、こんな思いの中で生まれた子供がどんなに可愛いか」と当時の感動と共に思い出していた。お産の苦しみは忘れてしまうのに、生まれてきた子供を見た時の感動は今でも忘れていなかった。
けれども、何かあるたびに子供を叱る。「なんでなの?」と思う感情を抑えながら対話をする。それは子供を思う気持ちであることは言うまでもないけれど、たまに私のエゴであることに気付く瞬間があります。
「あれ?これって私がそうして欲しいだけだよな。この子はしたくないんだよな」と。子供にも意志はありますから、当然のことなのに、意見が合わないとイライラしたりする。「もうわかって!」そう心でつぶやいて気付く。私のエゴだ。私のことをこの子にわかってほしいのか?
そう気付いた瞬間にイライラは収まり、冷静に対応をし始めます。そんな事の繰り返し。
何をしているんだろう?
何度繰り返しても懲りずにしてしまう思いでした。けれど、友達の話を聴いて、「ああ、居てくれるだけで幸せなんだよな」「生きていてくれるだけですごいことなんだなあ」と心の底から思いました。その場では我慢したけれど、一人になったとたんに目頭が熱くなりました。生まれてきたときに「生まれてきてくれてありがとう」って思ったよな。きっと親もそう思ってくれていたんだよな。こんなに幸せな事なのに、どんどん欲張りになっていたなあ。
娘を迎えに行って思わず抱きしめてしまいました。いっぱい「大好きだからね」と伝えました。
その思いは娘にも伝わっているのか居ないのか「知ってる」と軽く返されましたが、淋しいともなんとも思いませんでした。私の思いですから。
友達にもいつかこんな感動を味わえる日が来る事を見守りながら、私もやっと出来たこの子の命の大きさを忘れる事のないよう「生きていてくれてありがとう」という気持ちを大切にしていきたいと改めて感じました。
初心にかえるというよりは、今の彼女の成長を喜ぶ上でも、その時のことを忘れずに居たいです。
こうした思いは娘に通じるものなのか、娘は昨日も帰ってから、しっかり食事をし、宿題も済ませ、一緒にお話もいっぱいしてくれました。いつもと変わらない生活に見えても、どこか「愛情」が目に見えるような気分でした。
何度も何度も繰り返す事のように思いましたので、今目の前にはそんな娘からのメッセージを張りました。
「よ× あ× しニ× ←(きっとこれは練習した部分かな?)
おかあさんおしごとがんばたね
いつもありがとう」
愛情を注いでいるつもりで、子供に注がれているのかもしれませんね。
居てくれるだけで幸せ。ありがとう。
Twitterにブログ、ホームページにメモ帳・・・小林さんはワクワク・ドキドキさせてくれるおもちゃ箱を読者に提供してくれていますね!
今期は同友会活動にも注力して頂ける様で嬉しく思います。
昨日の瀬戸木鶏クラブの報告をブログに上げましたので、時間がある時にでも目を通してコメントを頂けたら幸いです。
『人は子を持ち親になって初めて親心を知る』・・・と誰かに諭された事を思い出しました。大学生の息子と中二の娘・・・生意気盛りで言葉も乱暴ですが、『子は親の心を実演する名優(鏡)である』。まずはわが身わが振りを反省して愛情を注ぎ続けていきます。
瀬戸の段暖畑さん
コメント拝見して、「おもちゃ箱」って嬉しいです。
これからも勝手につぶやいているだけですが、続けていきます。
続けていくって素敵な事ですね。