子育ての葛藤
子供には使って欲しくない言葉を、ことあるごとの発しだした娘。その時に私の心の声が表に出ます。抑えたいのに・・・。
娘は周りが使っているから、真似しているだけのようです。しかし、使うタイミングは分かっているので、言われた親達(おばあちゃんも含め)は、一語一句に反応してしまいます。
すると、ずっと教員をしていたおじいちゃんが「成長の過程なんだから、親が一語一句に反応してどうするんだ。子供の成長を喜んで見守るくらいでなくてどうする。」と言うのです。
頭では分かっていても、言われた言葉にカチンと来る。それだけではなく、人として絶対に使って欲しくない言葉は親のしつけとして、正したいという思いがありました。だから、とうとう声に出して叱ったのでした。
すると、「それは子供のために叱っているのではなく、自分の思い通りにならないから怒っているだけにしかみえない」と言われました。
子供のための躾として「死ね」という言葉を平気で発する子供にはしたくない。それは私のエゴなのか?
結局、言われた事には納得できなかったけれども、もしも娘がそのようにしか捉えてなかったら、それは伝わらないから、言っても言わなくても同じになってしまうんですよね。
エゴなのか?躾なのか?いったい誰のためなのか?
伝えるとしたら、伝え方をどう伝えるのか?
毎回悩みながら、伝えているような気がします。
結局、昨日は娘が軽度のアトピー性皮膚炎なので、身体をそっとさすって欲しいといってくる時があります。
その時に、その事を話しました。たまたまテレビで突然命を絶たれた人達の話を放映していたので、それを見ながら、私の思いとして伝えました。
私「お母さんは、生きていることって当たり前じゃないと思っているんだよ。だって、今日事故でなくなるかもしれないし、病気で居なくなるかもしれない。いつ最期になるか分からないのに、最期の交わした言葉が悲しい言葉だったら嫌なんだあ。どう思う?」
娘「私も嫌」
私「だよね。だったらさ、約束しようよ。挨拶はどんなに喧嘩してもしようね。それと、命にかかわる言葉は使ってほしくないな。」
娘「わかった。でも忘れたらごめん。」
私「いいよ。その時はお母さん、怒ってもいい?」
娘「わかった」
結局私の思いを伝えた。娘が本当に納得したのかは分からないけれど、我慢はしないことにしました。
ちゃんと自分の気持ちをお話ししてくれるお母さんがいるのは幸せなことですね。
きっと娘さんの中に新しい物差しができてます。
「こどもの言葉」私も最近直面しました。
工作のワークショップをしていて、そこで交わされる言葉がとても攻撃的です。
相手を傷つけ、自分をも傷つけながら、それしかコミュニケーションの方法を知らないかのようです。
自由にものを作っていても、「変なの作ってんじゃねーよ、死ね」なんて言葉が飛び交っていては、好きなものを作って楽しめません。
感想を発表してもらっても「別に、つまんなかった」です。
帰りに一人の子に「本当に楽しくなかった?」と聞くと「面白かったけど面白いというと全然面白そうじゃないって言われるから言えない」と教えてくれました。
なんだか素直な気持ちを言って傷つかないように、互いに気を使って疲れ果てている子が多いように感じます。
ありのままを認め合えたら、もっと可能性が広がるのにと思うと、もったいないです。
言葉だけの問題ではないのでしょうが、こどもに自分が使っている言葉を意識してもらいたくて言葉の色の話を作りました。
話を読むだけではなく、もう少し深く言葉を意識するワークショップにしたいと思っています。
小林さんにアイデアがあったら教えてくださいね。
わかさん
そうなんですね。
一緒に考えていきましょうね。