足の裏かあ

朝倉千恵子先生のメルマガ感動話の第2談です。私はこちらの話は、コーチとしても、人としても感動してしまいます。

今週も先週に続き、
感動したお話をご紹介させて頂きます。

東井義雄先生と徳永康起先生のエピソード。
御二方とも稀代の教育者だと本やメッセージに
触れるたびに思わずにはいられません。

東井義雄先生 著
『拝まない者もおがまれている』にそのエピソードが
紹介されていました。

メルマガ読者の皆様にぜひお裾分けさせてくださいませ。

ある日、徳永先生と同宿した東井先生。

午前3時には起きて勉強をされる徳永先生は、
その日も同じように起きて合掌正座されたそうです。

そして、東井先生の足元にお座りになり、

「東井先生、目を覚ましておいでになるようですが、
うつ伏せになってください」

「これからあなたの足の裏をもませてもらいます」

とおっしゃり、バチがあたるとお断りをしても、
聞き入れていただけず、
東井先生は徳永先生に足の裏をもんでもらうことになったそうです。

そんな中、徳永先生から
「東井先生は、奥さんの足の裏をもんであげられたことがありますか」

「ありません」と答えられた東井先生に、徳永先生は

「それではゆるしてあげるわけにはいきません。
明日、お家にお帰りになったら、私がもんだのとおなじように、
一度、奥さんの足の裏をもんであげてください」

そして、

「ひとの足の裏をもませてもらうときには、
まず合掌して足の裏を拝ませてもらうのです」

とおっしゃったそうです。

丁寧に合掌までされてしまった東井先生。
たまらず起き上がって、

「やめてください。バチがあたります」
と、おしとどめようとするのですが、聞き入れてはもらえず・・・、
言われるまま、またうつぶせに・・・。

翌口、夜半一時を過ぎて家へ帰り着いたとき、
奥様の足の裏をもまれたそうです。

以下、東井先生のお言葉をそのままご紹介します。

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徳永先生が、まずはじめに拝むんだと
おっしゃったことを思い出しました。
こんな足、拝むねうちもないと思いましたが、仕方ありません。

拝む格構だけして、いやがる妻の脚をおさえながら足袋を
脱がせてやりましたらギョッとしました。

妻をもらって三十八年、妻の足の裏を見たのははじめてでした。
もう少しかわいらしい足の裏を期待していたのですが、
まあなんというがめつい足の裏でしょうか。

私はとっさに、
「熊の足の裏というのはこういうのではないかなあ」
と思いました。

町の寺の娘に生まれて、大事に大事に育てられた妻でした。

私のところに来てくれたときには、
もう少しはかわいらしい足の裏をしていたにちがいありません。

それが、私のところのような山の中の貧乏寺に嫁いできて、
毎日々々、けわしい山道を薪を背負いに通い、

山道いっぱいに広がっている岩を、滑らないように、
指の先に力を入れて、踏みしめ踏みしめ、

何十年もしているうちに、
こんな足の裏になってしまったのかと思い、

畠のことなんか見ようともしないで、
出歩いてばかりいる私に代わって、

畠を耕やし、こやしを運びしているうちに、
こんな足の裏になってしまったのだろうかと思い、

ひょっとしたら、この女は、私のために生まれてきてくれた
女であったのではなかろうかと思ったりしながら

ふと気がついてみると、いつの間にか、本気になって、
妻の足の裏を拝んでいました。

そして、ほんとうの妻に、
はじめてであったような感動を覚えました。

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拙い私の感じたものは、以前、私は母の手を見て同じ事を思った事がありました。

父は母を良く言わない人でしたので、私達子供も一緒になって、言わないにしてもどこか母を蔑んでいたような時期がありました。
が、高校3年生の進学を考えている時期に、いつも怒らない母が、私の進学を巡って父と大喧嘩をしました。
お家の家計を考えて、私に進学を諦めさせたい父と、子供がずっと抱いてきた夢を応援するのが母だという二人の激論がもとで、家計のやりくりの話へとなり、大喧嘩したのでした。

母は、私に何とか夢を実現させてあげたいと、私達子供を連れて、(結果1日でしたが)家を出ました。
その時、手を引っ張られて家を出た事で、母と久しぶりに手をつないぎました。私の事が原因だったために、私は顔があげられず、ただ母の手を見つめながら家を出ました。

母の手は、元々ゴツゴツしていましたが、働く女性の手をしていました。カサカサで、マニキュアも似合わない爪で、手をつないでいる手のひらの内側の感覚もタコがあるのか硬くて、こんなに母は頑張ってきたんだなあと思うと、蔑んできた自分が恥ずかしいのと、感謝とで、涙が止まりませんでした。

そんな私に母は「ごめんね、お母さん達の喧嘩に付き合わせてしまって」と、私の泣いている理由を勘違いして謝っていました。
その時の母は、今まで蔑んできてしまったことを後悔してもしきれぬ程、大きく、心が広い人だと感じさせてくれました。

私は、この話を聞くと、あの時の母の事を思い出すのです。いつも笑っていた母の強さを感じるのです。
本当に多くの人達に支えられて私は存在しているのだと、何度も何度も思わせられます。そんな母のような強さと優しさを持った人に私もなると決めて、これまで来たけれど、少しは近づけているのでしょうか。

また、母に感謝を伝えにいこう。ありがとう。

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