小さい枠の中に居るんだな

今年に入って、改めて小さい枠の中でもがいている事って多いんだなって思いました。

ある勉強会でこんな事例が話されました。

例えば学生時代、校則などに縛られているところから「自由になりたい」と叫んでいる人は、規則を破ることで自由になると思っているから、ついついその後も、規則のある中へと飛び込んで言っては、同じように「自由になりたい」と、ルールを破ることで自由を得ているのだけれど、本当にそうでないと自由になれないかと言うと、そうではないはず。本当の自由って何なんだろうね?

こんな話しを聴いていたときは、どうかなあ?結局その人の言葉が規則を破りたいだったら良いわけだよなって思っていたのですが、ちょっと思い当たることってあるあると思ったので、「自分も小さい枠の中に居たのね」って知ることができました。けれども、その枠を知っただけで、変化した事がありました。

私は以前のことですが「里江ちゃんは苦手。何でいつも笑ってるわけ?」ってイライラしながら言われたことがありました。でも、これが私だから止められないもんと思ったので、嫌われているなら、何とか距離を置こうと思ったり、どうしても近くになると、それ以上嫌われないように頑張ってニコニコしないようにしたりと、本当に自分で知らない間に「嫌われない努力」のためにエネルギーを注いでしまっていた事がありました。
考えてみたら、世界中の全員に好かれるわけでもないし、その人がそうだからってこだわることはなかったんですよね。それでも、どこかで出会ってしまうたびに、なんだか意識している自分が居ました。

いやあ、今考えてみても小さいよね~。
ふとそんな事を思いながら、先ほどの話しに重ねてみたときに、同じなんですよね。

そのことを知って、偶然なのですが、年明けにその人と出会いました。
けれども、自分の中でその事に気づけただけなのに、何ともないんです。それどころか「こういう見方をしてる人も居るって教えてくれた大切な人なんだよな」って思えるようになっていました。

そうなると、情けないことに今まで、その人に嫌われないようにって事にエネルギーを使ってきた割には、全くその人のことを知らなかったことに気付きました。
その人に興味を持ってみてると、すごく素敵な方で、私とは全く違うけれども軸を持った優しさに溢れた人でした。

その日も「相変わらずニコニコしているね~全く」と言われましたが、「はい!」と笑顔で応えられました。他の人と変わらない対応というよりは、私は結構その人を魅力的に感じていたから気にしていたのだなという事も感じることさえできました。

今まで悩んだ時間が勿体無いとも思いません。こうした経験をしたから、その日の感動があったんだと思うと無駄ではないと思いますが、小さな枠の中から出てみると、本当に違う世界が見えるものなのだなと思いました。

NLPの講座の中でもこんな言葉で先生は表現されていました。
人はOKか、notOKかの判断の箱の中で自分を見つめてしまうけれど、OKの反対がnotOKなわけではない。この箱から出るには、自分をメタな視点(俯瞰してみる視点)が必要です。どっぷりその中につかっていると見えないものでもあるからこそ、俯瞰の仕方を覚えることが大切です」

自分の小さな枠の体験が、学んだことと結びついたのでここにメモを残します。

あなたにもこんな枠に縛られていることってありませんか。

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