喫茶喫飯

禅の言葉のようです。

喫茶喫飯(きっさきっぱん)

捉え方はその場に応じて違うのかもしれませんが、以下のような捉え方があるようです。

 

ご飯を食べる お茶を飲む 一つの事を良し悪しの物事の判断なく、人生をそのまま味わうことは、人として最高の幸せなことである

 

素敵な言葉ですよね。

 

そして、もう一つ、私が聞いた、以下の事が心に沁みたので残しておきます。

 

龍潭(りゅうたん)という若い禅僧が、師匠が日常の雑務しかさせてくださらず、痺れを切らして、なぜ教えてくださらないのかと尋ねると、

「お前が茶を運んでくればおいしくいただき、食事を運んでくればそれもおいしくいただいただろう、それが教えだよ」

 つまり、お前に学ぼうとする気があるなら、私(師)の日常の言葉や行動の中から禅の心をつかめたはずだ、という事です。

 

テクニックだけを学ぼうとするのではなく、日常の中にも姿勢を始め、沢山の学ぶことがある。日常のどんな場面からでも学ぼうと思えば学べる。そのことに気づいた時に、学びは自ずと訪れるという事かなと私は勝手に解釈をしました。

 

私が「不器用で目の前の事をひたすら一生懸命することしか出来ない」と話したら、それこそ「喫茶喫飯だね」と言われ、大切な事だよと仰っていただいたので、初めて触れた言葉でしたが、大切にしたいと思いました。

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