NLPを学んでいて、最初のトレーニングで大切にされるアソシエイト(映画の主人公になっているような感覚?)とディソシエイト(映画を鑑賞しているような感覚)の切り替えが、普段でもできたら、もっと楽になることが沢山あるように思います。

自分の体験を言葉で語るのが難しくて、躊躇していたのですが、今日は被災された皆様の心のケアや、大きな出来事で心がそこから離れない人に伝えたいという衝動が沸き起こり、ここに書かせていただきます。

多くの場合、その衝撃の瞬間をアソシエイト(アソと以後省略)で捉えているから、時は流れてもその瞬間に居るという状態だと思います。私も何かあると、すぐにアソ状態で、ずっとその時の感情から抜け出せなくなってしまいます。それが、大きな出来事であればあるほど、そう感じます。

けれども、そんな時に、「もう一人の自分がこの状況を見ていたらどうだろう?」とちょっと映画のワンシーンを見るようにしてみると(なれるまでは多少時間はかかります)、少しだけ心が楽になったり、だったらどうしようかと考えられるようになります。冷静になれる感覚です。このワンシーンを見るようにすることをディソシエイト(以後はディソと省略)と言います。

この二つを楽しい時にはアソ、辛い時にはディソ。のように自分で捉えられるようになったら、いいなと思い、私自身、学んでからは実践をしています。
ただ、感情をごまかすのではなく、「自分は今、辛いんだな」と感じた後に、ディソするという感じです。

役者さんはこのアソが得意な人達がされているのかもしれませんね。その状況に入り込む事をコントロールできるんだと思います。

だから、私達は役者ではないので完璧に使いこなすというのではなく、あまりにも辛い時には映画のワンシーンをみるように。それでもまだ苦しければ、映画を鑑賞している人を、映写室から見ているような感覚で、徐々に感情と距離をとれる場所に身をおいて見ることもできるのではないかと思います。

そんな簡単なものではないと思います。
五感で感じたものは、感覚が覚えていますから。
けれども、ほんの少しでも、ディソする時間で心を休める時間が必要な人には休める時間を。先を考えたい人には、冷静に先を考える時間を提供できるのではないかと思いました。

アソとディソを、少し活用できるようになる人が増えたらいいな。特に感情が揺さぶられて、我を失ってしまいそうな時には、感情を受け止めた後にディソしてみて欲しいな。(本当は、その事を近くで聴いてあげられる私達が居たら、よりよいのでしょうけれどね)

何だか、伝わらなかったり誤解されるような事になったら淋しいなと思いながらも、ほんの数人の方でもいいので、心が軽くなったらいいなと思い、言葉にならない思いを書いてみました。

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